いまAGA治療で処方されているフィナステリドは、かつて4年間にわたってドーピング禁止薬物でした。
そしてこの間に、薄毛の治療をしていただけで五輪出場を逃した選手がいます。
この話は、単なる歴史の余談ではありません。「治療で使っているだけの薬が、規制の対象になりうる」という構造そのものが、いまも変わっていないからです。
なお、この記事は一般的な情報提供です。個別の診断や治療、そして競技資格の判断に用いるものではありません。
先に結論を書きます。フィナステリドは、2026年11月時点でWADAの禁止表に載っていません。2026年版の禁止表(2026年1月1日発効)にも、フィナステリドとデュタステリドの記載はありません。禁止されていたのは2005年から2008年までの4年間です。
なぜ、髪の薬が禁止されたのか
フィナステリドが世界アンチ・ドーピング機構(WADA)の禁止表に載ったのは2005年です。
分類は「同化薬」ではありません。「隠蔽薬(マスキング剤)」としての指定でした。
理由は、検査の仕組みにあります。
アナボリックステロイドの使用を尿検査で見つける方法の1つに、複数のステロイド代謝物の比率を見るやり方があります。特にテストステロンとエピテストステロンの比(T/E比)は、長く使われてきた指標です。
フィナステリドは5α還元酵素を阻害するため、5α還元を経る代謝物の産生量を変えます。 その結果、代謝物のプロファイル全体が動きます。
すると、アナボリックステロイドを使っていた場合でも、その痕跡が判定の閾値に届かなくなる可能性がある。つまり検出を妨げる道具として使われうる、と判断されました。
薄毛の治療薬が、競技力を上げるからではなく、証拠を消しうるという理由で禁止されたわけです。
薄毛治療で五輪を逃した選手
この規制の影響をもっともよく知られた形で受けたのが、アメリカのスケルトン選手ザック・ランドです。
彼は薄毛の治療として、長年フィナステリドを含む薬を使っていました。使用していること自体は隠しておらず、ドーピング検査の申告書にも記載していました。
問題は、2005年に禁止表が変わったことです。
規制が変わったあとの検査で陽性となり、資格停止処分を受けました。その結果、2006年のトリノ五輪に出場できませんでした。当時の彼はワールドカップで上位にいた選手です。
この事案の要点は、彼が競技力向上を狙っていなかったことです。 それでも規則の上では違反になりました。アンチ・ドーピング規則は、意図ではなく体内にあるかどうかで判断されるからです。
同じ時期、サッカーのロマーリオもフィナステリドで陽性となっています。こちらも薄毛治療でした。
日本のプロ野球でも、処分を受けた選手がいます
この規制は海外だけの話ではありません。
2007年8月、日本プロ野球組織(NPB)は、ソフトバンクのリック・ガトームソン投手がドーピング検査でフィナステリドに陽性となったとして、20日間の出場停止と、球団への制裁金750万円の処分を発表しました。報道では、プロ野球で初めての薬物違反による処分とされています。
同じ報道によれば、投手は禁止薬物だと知らずに服用を続け、トレーナーにも申告していました。ザック・ランドと同じく、隠していたわけでも、競技力を上げようとしたわけでもありません。それでも処分は避けられませんでした。
出典:しんぶん赤旗 2007年8月11日「ガトームソン薬物違反 プロ野球初 20日間の出場停止に」
そして2009年に、削除されました
フィナステリドは、2009年1月1日付で禁止表から外されました。デュタステリドも同様です。
理由は、検査技術の進歩です。
炭素の同位体比を用いる質量分析が普及し、体内で作られたステロイドか、外から入れたステロイドかを直接見分けられるようになりました。代謝物の比率に頼らなくてよくなったので、フィナステリドが比率を動かしても、検出そのものは妨げられません。
隠蔽薬として禁止する理由がなくなった、というのが削除の経緯です。
現在、AGA治療で標準的に使われる薬は、いずれも禁止表に載っていません。
- フィナステリド
- デュタステリド
- 外用ミノキシジル
競技者であっても、AGA治療を受けることに規則上の問題はありません。ここは安心していい部分です。
一方で、いまも禁止されているもの
ここからが、この記事の実務的な部分です。
アナボリックステロイドとSARMは、競技会の内外を問わず、常に禁止されています。 これは当然として、見落とされやすいのは次の点です。
使用後の回復に使われる薬こそ、禁止表の中心にあります。
アナボリックステロイドを使ったあと、抑制されたホルモン軸を戻すために用いられるものは、次のように扱われています。
- hCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン)とLH — 男性において禁止されています
- クロミフェン、タモキシフェン — ホルモン調節薬として禁止されています
- アロマターゼ阻害薬(アナストロゾール、レトロゾール) — 同じく禁止されています
- 成長ホルモン、IGF-1 — 禁止されています
つまり、使用中も、やめたあとも、規則の対象から外れません。 「もうやめたから大丈夫」という理解は成立しません。
一方、外用ミノキシジルは禁止されていません。 アンドロゲンの経路に触らない薬だからです。競技者が使える数少ない選択肢という点でも、この薬の位置づけは特殊です。
テストステロン補充療法と競技
男性更年期の治療としてテストステロン補充療法を受けている競技者から、TUE(治療使用特例)で認められるのかと聞かれることがあります。
現実には、極めて認められにくいと考えてください。
TUEは、他に代替となる治療がなく、かつ健康状態を通常の範囲に戻す以上の効果を与えない場合に検討されるものです。テストステロンはこの条件を満たすと判断されにくく、申請が通る例は限られています。
競技を続けながらTRTを検討している場合、まず所属競技団体とアンチ・ドーピングの窓口に確認するのが順序です。
教訓は「毎年確認する」こと
ザック・ランドの一件が示しているのは、規則は変わるという単純な事実です。
禁止表は毎年1月1日に更新されます。 去年まで使えたものが、今年から使えないことがあります。逆に、フィナステリドのように外れるものもあります。
競技をしている人が守るべき手順は3つです。
- 使っている薬とサプリメントを、毎年確認する
- 日本アンチ・ドーピング機構が案内している検索の仕組み(Global DRO)で、成分名から調べる
- 判断がつかないものは、使う前に競技団体の窓口に問い合わせる
サプリメントの汚染による意図しない摂取でも、制裁を受けます。 「知らなかった」は原則として通りません。ここは厳しい世界です。
AGA治療を始める競技者へ
まとめると、次のようになります。
- フィナステリド、デュタステリド、外用ミノキシジルは、現在いずれも禁止されていない
- 過去には禁止されていた時期があり、それで処分を受けた選手がいる
- 禁止表は毎年変わるので、毎年確認する必要がある
- アナボリックステロイドとSARMは常に禁止されている
- 使用後の回復に用いる薬も、ほぼすべて禁止されている
そして、いちばん実務的な助言はこれです。
AGA治療を始めるとき、自分が競技者であることを医師に伝えてください。処方する側が禁止表を把握しているとは限りません。伝えれば、確認する手順を一緒に踏めます。
競技者であることを伝えたうえで、AGA治療を組む
現在の標準的なAGA治療薬は禁止表に載っていません。ただし、何を処方されるのかを把握しておくことは競技者の責任です。オンライン診療でも、事情を伝えたうえで相談してください。
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ご注意
この記事は一般的な情報提供です。禁止表の内容は毎年更新されるため、競技者は必ず最新版と所属競技団体の案内を確認してください。この記事はドーピング規制の解釈について公式な見解を示すものではありません。


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